ちょっと真面目に自分の「性」を考えてみた。

 

あけましておめでとうございます🐗🎍🐗🎍

2019年ももう一ヶ月の半分が過ぎたと思うと早いですね...。

 

ところで

 

今日、やさしいかくめいラボで「lgbtq・性の悩み」というチャンネルを見ていると、

自分の生物的な性と心の性の間に違和感があって、生きづらいと悩みを打ちあけている人がいました。

 

性同一性障害の人は、どうやって発覚したのか、どのように生きているのかを教えて欲しい、と書いてあったので私なりに考えてみました。

 

だーっと読んでくださいな! 

 

男性・女性の性別いずれでもないという考え方

 

先ほどの文章では、「性同一性障害の人は〜教えて欲しい」と書いてあったと言いましたが、え?と思った人もいるかもしれません。

 

私はXジェンダーというセクシュアリティにとても考え方が近いです。

 

Xジェンダーというのは、男性・女性の性別いずれでもないという性の考え方です。

その中にも4つの分類があって

 

  1. 中性:男性と女性との中間地点に自身の性の拠り所を見出す性自認
  2. 両性:自分のせいが男性でもあり、女性でもあると認識している性自認
  3. 無性:そもそも自分の性に男性・女性の認識がない性自認
  4. 不定性:上記の分類に当てはまらず、自分自身の性自認が、流動的に揺れ動く性自認

 

以上の4分類にまとめてありますが、この分類にかっちり限定があるわけではありません。

 

Xジェンダーは男性・女性という対の指標の間にあるグラデーションからいかに自身の性をえらびとるかという認識に留まることなく、自分の性がわからないという揺らぎそのものに、ひとりの固有の性自認として見出す性のあり方だと言われています。

 

Xジェンダーの説明は大体こんな感じ。

 

そして、私がどうやって発覚したのかというと、恋人との別れがきっかけにあります。

直接的ではないですが、大切に想っていたひととの別れから、

「付き合うってなんだろう」「好きってなんだろう」「恋人との性行為って必要不可欠なの?」「嫉妬ってなんだろう」

と色々な問いが私の中で生まれました。

 

男女の関係を考える中で、ひととひとの関係なども考えたときに

「男女」という性別の違いが人間関係の中で障壁になっていることも

感じました。

 

例えば、私が

「この人と旅したら面白そうだなー」と思ったとき

その相手が異性だったら、

その人とふたりで遠出するのは「え?」と思う人もいるかもしれません。

私は、その旅に行ったらおもしろそうと思った相手をひとりの人間としてみているのに。

 

「もっとこの人の話を聞きたいなー、ご飯行きたいな」と思ったとき

その相手が自分と違う性の人だったら

気を使わなければいけません、思わせぶりをしないように。

異性とご飯に行くということが、変にみられてしまう事もあります。

 

別に気にするなと言われれば、そうなんですよね。

 

人間関係だけじゃなくても、例えば

「女の子」として飲みに誘われる事もありますよね、女の子だから優しくしてもらえる事もあります。男の先輩は「女の子だから」優しくしてくれる人もいます。

 

こういうとき、女性という性に産まれた事をありがたいとも思うけれど

同時に、「女の子」じゃなかったらどうだった??

表面だけを見られて、ひとりの人間として見られていないと感じてしまうのです。

 

そう、別に気にするなと言われれば、そうなんですけど、

この繊細な心が感じた違和感が消えることはきっとないんですよね。

 

「男女」という性の見方がすごく邪魔だなと感じる時が多かった。

ただ難しいこと考えるねとよく思われて、

だからこそ、Xジェンダーという存在を知った時に、

目からウロコでした、、、

すごい!考え方近い!みたいな!!!!

 

自分がXジェンダーに近いという考え方のきっかけは恋人との別れだけど、

発覚したのは存在を知ったときです。

 

 

自分のことを発信する

 

どのように生きているかという質問ですが、

別に日々の違和感に苦しんでいるのかと言われると、あまり苦しくはありません。

 

なぜかというと、人それぞれに当たり前だと思うものは違うからです。

私は、付き合ってない男女が遠出することを「え?」とは思わないけど、

思う人もいるし、「なんで付き合わないの?」と聞いてくる人もいます。

 

ただ、苦しくはないけど、「こういう風に考える人もいるんだよ」程度には気持ちはわかってほしいというか、認めてほしいとは思います。

これが私だから許して〜って感じで!

 

だから、積極的に自分が興味があることをtwitterで発信するようにしています。

セクシュアリティの記事を読んだら、それをツイートしたり。

恋人との別れた理由をあまり隠さないようにしたり。

 

私は超性善説信者なので、ちゃんと自分のことを伝えたら、相手も分かってくれるだろうと思っています。もし、相手が分かってくれないときは、いつも自分がその人への付き合い方が悪いんだろうな、と思うようにします。

 

今のところ周りの友達がすごく優しいです。ありがたいです。

 

 

ひとりの固有の性自認として見出す性のあり方

 

こんな感じでやさしいかくめいラボでは返答しました。

 

セクシュアリティについて、いろんな記事を読んだり、調べたりすると

一つ思うことがあります。

 

それは、

ありのままの自分でいることを良しとしてくれる社会の流れが来ているんじゃないか

ということです。

 

セクシュアリティは、すでに数え切れないほどの分類があって、それぞれに名前があります。最近、1番感動したセクシュアリティは「フレイセクシュアル」という分類で、仲良くなるにつれて相手への性的欲求が下がっていく、というものです。

 

こういった名前は、ネットの会話の中で生まれるという記事を見たことがあって、それを考えると、

 

「私ってこういう考え方なの!」⇨「じゃあそれ〇〇だね!」

みたいな感じで名前ができるのかなと思っていて。

それって本当にひとりの固有の性自認だなって。

 

セクシュアリティじゃなくても、Twitterのアカウント名を見ても、

「名前@〇〇の人」と書いている人は多いですよね。

もう自分に名前を勝手につけてもいいんだな。

その考え方、私はすごく好きです。

 

ただ、そうなったとき、

ありのままの自分でいることはできても、

周りから許されず傷つけられている人はたくさんいて

その社会の受け皿ができない限り

ありのままでいて苦しむ人は増えていくんだろうなと思います。

 

 

うん、そんな感じかな。

やさしいかくめいラボの問いから考えてみました。

こういうことを考えるのも好きです。

ぜひ興味を持ってもらえたら、一緒におしゃべりしましょう。