「嫉妬とかしないの?」に答える。わたしと「嫉妬」の付き合い方

こんにちは。
ついこの間まで桜の季節だったのに、気づけばもう緑が主役です。
人間も光合成できればいいのにね、光を浴びたら魅力が増すとか。

 

もともと恋愛観についてかんがえるのは好きだったけれど
最近、よくひとに「嫉妬とかしないの?」と言われることが増えたので
今日は「嫉妬」について書いていきたいと思います。

 

 

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緑が元気。わたしも元気。

 

 


「嫉妬」とは
(1) 自分より優れたものをねたみそねむこと。
(2) 自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。
広辞苑を引いと書いてあります。

 

今日書こうと思ったのは2つめの嫉妬についてで、
わたしなりの「嫉妬」という感情との付き合い方を言葉にしてみようと思いました。

 

最初の「嫉妬とかしないの?」という話に少し戻りますが
いまわたしには幸せなことに恋人がいて
彼の中で写真はとっても大切なものです。
わたしが彼にとっての写真の大切さを一文で表現してもいいのかな、と思うくらい
愛が詰まっているものです。

 

そして、彼にはその写真を一緒に楽しむ友達がたくさんいます。
一緒に取り合う人もいれば、被写体さんもいます。
彼の写真を見たことがある人は分かると思うけれど
女性が多いことは事実です。

 

その写真を見て、きっと友達は
「嫉妬とかしないの?」
「嫌じゃないの?」という
疑問を持つんでしょうね。

 

結論からいうと、私は

 

嫉妬という感情そのものは否定しないけれど
その感情を相手に向けたり、押し付けることはあまり好きではない。

 

という考えを持っています。

 

わたしにとって嫉妬という感情を相手に押し付けること、
もっとわかりやすく極端にいうと
「私以外の女の子と遊ぶのやめて」と相手に伝えることは
相手の大切にしているものをよく理解しないままに奪ってしまう行為だと思っていて。
そして、それを恋人だからという理由で許されるものでもないと思います。

 

「付き合うとは」とか、恋愛と友情の「好き」の違いついて
考えることはよくありますが、不思議なのは
恋人関係になることで
その人の大切なものや、その人自身を分かったような気になって
本当はよく知らない相手の大切なものと自分の存在を比べては
悩んだり、傷ついたり、逆に幸せになることがあるということです。

 

でも、これって本当に日常的にいろんな人の間で起こっていることだと思っていて
単純な疑問で
恋人になった瞬間に相手の中で1番じゃないと嫌、とおもう感情、つまり
独占欲はいつ、どこで生まれてくるものなのかな、と思うことがあります。

 

話が少しそれてしまったけれど
私の中で「嫉妬」を考えるきっかけになったのは
高校の時に付き合っていた人とのささいな喧嘩でした。

 

休日に学校でクラスメートの男子数人と
約束していたわけでもなく、たまたま一緒になったので
一緒に勉強しているところを指摘されたのです。
幼かった私は相手の気持ちを考えることは一切せず
「その一緒にいる人が女の子だったら何も言わないの?」と
逆切れをかましました(笑)
私にとってはただのクラスメートで
一人の人間としてただ一緒に勉強したい大切な友達だったのです。
そして、ただ自分の性別と違うだけ。

 

懐かしいなぁ。その経験があって
嫉妬って人の家に土足で踏み入る感覚に近いものなのかな、と思うようになりました。

この感覚を知った当時は、嫉妬という感情の存在すら良いものではないと思っていましたが、
感情の存在を否定するものはなにもないんじゃないか、と思うようになって
嫉妬という感情の存在は素直に認めるようになりました。

 

わたしも、恋人と楽しい時間を過ごす人たちに対して
いいなぁ~とおもうことは全然あります。

 

ただ、最近しっくり来ているのは

相手の大切にしているものも含めて相手である

という考え方。

 

わたしの嫉妬との付き合い方はこんな感じで、
わりとこの1年間くらいでまとまってきた考えなんですけど、
最近それでもむずかしいなぁ~と思うのは、
嫉妬されると少し喜んだり、嫉妬してほしい気もするけどな、という言葉です。

 

私以外の人の「嫉妬」についての考え方、付き合い方も
ぜひ知りたいです。
逆に素直にめちゃくちゃ嫉妬する人の考えも気になります。